我国の場合も、それこそ 縄文の昔あたりから 仮面は存在した・・・。
仮面という、そのものの持つ 呪術的あるいは 憑依的な要素が、形の上では 大きな変化を見せてはいても、能面にまで うけつがれているのは 確かだと思う。
それ以上に 能面の完成ということが、実は世阿弥による 夢幻能の完成との 相乗作用によるものであり、それは 仮面の呪術性を 新しく舞台芸術の中に 生ぜしめるという、世界仮面史の中でも 特筆すべき事件であったと、これは声を大にして 言いたいのである・・・。
観世寿夫「心より心に伝ふる花」より
天(アマ)の香山(カグヤマ)の 天の月影を 手次(タスキ)に 繋けて、
天の真折(マサキ)を 葛(カヅラ)として、天の香山の小竹葉(ササバ)を 手草(テグサ)に 結ひ(ユヒ)て、
天の岩屋戸(イハヤト)に 槽伏て(ウチフシテ) 踏み轟こし(フミトドロコシ)、
神懸り(カムガカリ)して、胸乳(ムナチ)をかき出で(イデ) 装緒(モヒモ)を 陰(ホト)に押し垂れき・・・。
古事記 「天の岩屋戸(アマノイハヤト)」
能面の中でも とくに、美しい女面(オンナメン)の類は、
秀れた演者によって 舞台にかかった時は、 いかなる美しい女優さんも かなわない 独特の魅力を発揮する。
女面の美しさに惹かれて 能の中に引き入れられ 知らぬ間に 一曲を過ごしてしまう人は 非常に多いと思う。
それだけの魅力を 秀れた女面は、内に秘めているのだ。
観世寿夫 「心より心に伝ふる花」より
我 この森の蔭に居て いにしへを思ひ、心を澄ます折節、
いとなまめける女性(にょしょう)一人 忽然と来たり給ふは、いかなる人にて ましますぞ・・・。
謡曲 「野宮」 (伝:金春禅竹)
面の事。翁は日光打。弥勒、打ち出なり。
この座の翁は 弥勒打なり。 伊賀小波多にて、座を建て初められし時、 伊賀にて 尋ね出だし奉つし面なり。
近江には、赤鶴、鬼の面の上手なり。近ごろ、愛智打とて、座禅院の内の者なり。
女の面、上手なり。・・・。
世阿弥 「申楽談儀」
・・・また女面についても、女神面としての相貌の特徴の中で両頬にエクボをもつことは大切な要素であった。
ところが 世阿弥作の幽玄な女能の場合に 着用する女面には そのエクボが無くなるのである。そして それが王朝の優雅な女性の仮面として 確立されるが、その代表が すでに述べた小面と言ってよい。
やがて 若い女性の魅力を 強調する若女や、多くの媚に勝るとも いわれる万媚や、新妻の顔を写したという 孫次郎もある。
さらに 中年で情の深さを 表現する深井や 顔のしゃくれた曲見などが 製作されてくる。
中村保雄 「仮面と信仰」
しかもその面は、謡(うたひ)をうたい 口許からぶつぶつ淡吹いた というのである。・・・。
中村保雄 「仮面と信仰」
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