All Photographs and Sentences (C) Masato SHIGEZAWA 1995-2008
(やはり民衆に とっては 村の鎮守である)寺院の密教儀礼の演劇的要素は、本来 インドの民衆のクラシ
の宗教儀礼 (原住アジア文化の要素が多い)を その発生の源として居り、これは、元々 極めて「地ベタ」なモノである。
民衆の情念のスープを、香り高い精神哲学で調理して、味をより濃く「おいしくする」 いわば「情念の昇華」を図るのが 密教儀礼であり、その演劇的「行」のパートは、最初は聖職者が 受け持って居た。
やがて時を経るにつれ、次第次第に 専門の芸能者のワザに 委ねられる様になる。
彼らの多くは、平民であり、 「縄文の祭祀演劇の記憶」を その身の奥に保持して居た人達で在る。
外来の密教演劇は、縄文の祭祀演劇に拠って 溶融し再統合され、新たな演劇の創造を成して行く。
「村の神楽」、「呪師申楽」、 いづれの祝祭空間でも、 民衆が大いに期待するのは、大自然の 強大なイブキを纏う (縄文以来の)
「太古の神々」や、 聖なる験力を体現する
「護法神」の来現である。
その姿の力強い聖性の現れが、人々を元気づけ、明日からのクラシを意欲的に 生きる上で 役立って来たのである。
能楽はその後、貴族や上級武士、風趣な町民など、高趣な「見所」により 練りに練られ、次第 次第に その芸の風姿を 洗練凝縮化させて行く。
そして又、ふたたび民衆の (例えば、長屋 の人々や農林民の) クラシの中に溶け込んで行く...。
能楽に於いて、聖性の来現は、その大部分は [神仏習合]の姿で成されて居り、しばしば 我国独自に 創成された神仏も 出現する。 (蔵王権現など)